改革と改善の違い(2)

前回ブログを書いてからずいぶん時間がたちました。約3週間ぶりの執筆です。

この間は安倍元首相が暗殺されたり、参院選があったり、コロナの第7波が急速に広がったりと、結構大きな出来事が続きました。それにしても安倍元首相の暗殺には大変驚きましたし、今の日本でこういうことが起こるとは全く想定していませんでしたから、唖然とするしかなかったですね(いまだに信じられません)。保守派の大きな牙城が崩れたことにもなりますから、これから日本はいったいどうなっていくのだろうという不安が日増しに強くなっている感じがしています。

前回は改善と改革の違いを説明している途中でした。改革は基本的にトップダウン型であって、全体最適発想の下で会社として進むべき方向性をデザインして行く事です。それに対して改善はボトムアップ型で進める場合がほとんどで、部署単位や係単位で最適化を目指していく取り組みです。いわば戦略的視点を持って進めて行くのが改革であり、戦術的視点や直近の問題を解決するという戦闘的発想で進めて行くのが改善という事になります。

前回も述べたように日本は改善は非常に得意としているのですが、改革的な大きく仕組みを変えるという事は苦手にしています。まあこの点は私だけではなく多くの人や書籍などでも指摘されている事でもありますが、小集団活動的な身の回りの小改善は非常に活発な反面、海外発の経営改革手法(BPR,BSC,ABM,6Σ等多数)は全面展開できずに手法の一部を取り込んだだけで終わってしまっている所がほとんどです(要は本格的な改革は行われていない)。

この原因について考えてみるとポイントになるのはリーダーシップ(行動力)にあるのではないかと思います。実際問題として「改革的発想」を持つ人は社内に結構いるのですが、その改革的発想をまず組織としての意見として取りまとめることが出来ない場合がほとんどです。論理的に改革の必要性を周囲に説き、仲間を集めて行くという行動を取れる人はほとんどいないのです。偶然にもこの改革的発想を持つ人が会社としての意思決定に絡む人であるならば改革は動き出すのですが、一般社員が発想しても現実になる可能性は少ないのです。前回も述べた「同調圧力」に負けて自分から行動していく事をあきらめてしまうのです。

大切なのは改革的発想をオープンにできる場を持つことであろうと思いますし、上司や先輩などがそれらの考えを否定せずに真剣に議論できる環境を作ることであろうと思います。かつて日産の大改革を進めたゴーンさんが言っていたことですが、「改革プランはすでに日産社内にあった。光が当たっていなかっただけだ」という話をしています(うろ覚えですが・・)。まあ今はゴーンさんは微妙な立場ですから、もうあえて触れませんが、改革の芽は結構社内に眠っているのかもしれませんね。

話をまとめると、日本は改革が苦手と言うのは決して改革的発想が出来ないとか、考えることが出来ないという事ではなく、改革的発想を会社として意思決定することが出来ない点に問題があるという事です。それには改革を推し進めていく管理職層のリーダーシップが不足しているという点もありますし、その改革的発想を正しく評価して行く上級管理職や役員層の資質の問題もあると思います。大切なのは改革が進まないと嘆くのではなく、改革的発想に光を当てる場を作る事ではないかと思います。

そしてその場に最もふさわしいのが改善活動の場であると思いますし、コンサルティングの場でないかと思います。どうか社内改革を大きく進める「場を作る」ためにコンサルタントを使っていただければ幸いです。